SSブログ

『時刻表2万キロ』 [レビューなど]

二十世紀の国鉄完乗者

時刻表を眺めながら車窓を夢見るサラリーマンが、乗り残した国鉄全線を完乗すべく奔走した、仕事の合間の鉄道旅行記。
時刻表を熟読し、到着時刻から逆算して表記の裏に隠された乗り換えを達成したり、急行を追い抜く鈍行を見つけて悦に入ったり。しかしそうそう記述通りにはいかず、事故や寝坊や深酒でしばしば予定は狂い、果ては列車をタクシーで追いかけたり…。

鉄道とは移動手段にすぎないから、「乗る」ことを目的とするのはたいそう大人気ないとされている。ましてや、子供が好む物件だから尚更だ。巻末に纏められた書評各種も「馬鹿馬鹿しい」という前提は共通しており、著者本人も内心のこだわりや感動が露見しないように心を砕いている。その、時に涙ぐましい努力がまた、結果としてユーモラスなのだが。
裏を返せば、このような「純然たる趣味」としか申し開きのしようのない行為に、「お目こぼし」さえしてみせるような、厳格で分相応の「大人の分別」が存在していたのだ。この秘めやかな旅が遂行されていたのは1970年代半ば。現在「人に迷惑かけなきゃ何やってもいい」という一見寛大そうでその実酷薄なスタンスが定着して久しいが、良し悪しは別として時の流れを痛感する。
もちろん、作品の内容そのものも古典と化している。 最後は新線の開通していく様を、豊かな成長を示唆する園芸家の文を援用して「線路は続くよどこまでも」といったニュアンスで締めくくっているが、 著者が苦心してプランを練り乗りこなしたローカル線は、国鉄の分割民営化を経てその過半は姿を消した。つまり、本書は国家的に成長期の文学と言えるだろう。
放漫経営を指摘されていた鉄道事業さえ国家の成長に組み込まれていた。当時の国債残高は15兆円。それが、709兆円となった現在、新線として話題に上るのは長崎や金沢へ向かう整備新幹線だろうか。この一事をもってしても、隔世の感がある。
そして「海岸に見事な松林のある陸前高田のあたり」といった記述や、気仙沼線の開通を街を挙げて祝う住民の姿に至っては、虚ろな感慨を抱かざるを得ない。

著者の宮脇俊三は当時、『中央公論』の編集長。厳しい審美眼のフィルターを通した簡潔な文章からは時に格調すら漂い、行間から豊かな感性が垣間見える。
しかしこれまた作品の完成度とは別に功罪を生み出したと思う。ある程度社会的地位を備えた人物がこんな馬鹿馬鹿しいことをやらかしていた事実は話題性にもなったが、内容にそぐわぬ高尚さは以後鉄道ファンに対する誤解を生んだと思える。
今なお鉄道趣味にはシャイでおとなしい正気の大人の趣味というイメージがあるが、群れたがり群れたら騒ぎ分不相応にモテたがり、ヘッドマークを盗む者やイベントで一般客を押し退ける輩もいる。つまり、その他の趣味とたいして変わらない。本作からマニアにありがちな自慢の臭いがしないのは、ひとえに著者自身の人格に因っている。
「鉄道文学」の重要作にして鉄道趣味の伝導書である本書の完成度は、さろそろ日本経済に余裕が出てきた発表年代と相俟って、それほどの影響力を持ち得た。

デビュー作にして金字塔。
第5回日本ノンフィクション賞の選考にあたって「今後、ノンフィクションの世界にその領域での新たな展開すら予想できた」と述べた吉村昭は慧眼だろう。
(敬称略)
時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))

時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))

  • 作者: 宮脇 俊三
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1984/11
  • メディア: 文庫



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。