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久々の更新で政治的なことを偉そうに言ってます [雑記]

 2016年7月31日の都知事選における小池百合子と増田寛也の得票(あと自称「安保法」成立後の国政選挙の結果)を見るに、この国の多数派とやらは本当に「自民党的なもの」が好き、というかそれに縛られているのだなあ、と思った。
 
 「自民党的なもの」とは戦後の経済成長期の「成功体験」に置き換えられる。アメリカ印の安定与党によって「がむしゃらな労働が報われた」時代の思ひ出が誘蛾灯の役割を果たしている。政治意識の希薄さ、それに伴う足元の人権より経済政策を重んじる感覚、「働けない」事と「働かない」事の混濁などもそれを裏付けている。さらに延々と継続している沖縄差別も「あの頃の成功体験」を共有していない事が追加的に作用しているのではないか。これは心身障がい者、女性など「働けなかった」存在への無理解とも重なる。経済成長期に後回しにしてきた(本来ならば喫緊の)懸案事項が何の反省もないまま今なお継承されている。
 事の始め、経済成長の足がかりとされる朝鮮戦争は、かつて文化も尊厳も踏みにじった朝鮮半島をさらに世界最貧レベルに叩き落とした行為である。相対的に貧しい者、弱い者を食い物にしてきた面に都合良く蓋をして「成長神話」とする神経を自分は理解できない。

 「あの時代」の「成長神話」における安定与党の敵対勢力が「左翼」。特に戦前から一貫して本流で在り続けた共産党への理性を越えた拒否感情は、彼らの在り方や主義主張に対する反発と言うより、吉良上野介のような悪役に対する嫌悪感に近いように思う。
 日本は閉ざされた劇場であり、マナーを守って「一生懸命働く」限り、終わらない成長神話を見ている観客でいられるのだ。そこには政治意識も当事者意識も無い。そして上映スタッフは「自民党的」な人々であり、舞台にあるのは巨大なテレビ画面だろう。
 安倍内閣が掲げた「あの頃の日本を取り戻す」というスローガンは「観客」で在り続けたい人にとっては甘美な誘い文句だった筈だ。かつて創生神話に彩られた喜劇は、敗戦を挟んで今度は成長神話によって彩られている。現在の演目はさしずめアベノミクスか。

 だからこの国の多数派とやらは未だに劇場型の政治手法に騙される、というか騙されている事すら認識できない。だが、日本は閉ざされた劇場では無く、国民は活劇の観客ではなく現実の当事者で、安住の座席など無い。世界は広く、社会も人も多種多様で、窓も扉も開かれており、時間は絶えず流れている。
 高齢者介護施設に勤めて、その利用者が典型的な日本人だと思った。「危険だから」と屋内で過ごすことを強いられ、テレビが一番の友達で、何より誰より大切な「あの頃」をいじくり回す事に明け暮れる。そこには異質な他者も、未来への展望も、変化への期待もない。

 現在闘うべき敵は、過去に囚われ、異質なものを多数決で排除し、厄介な問題を単純化し、もっと厄介な問題は先送りし、「成功」や「神話」や「劇場」や、「指導者」と「弱者」を求めて病まない卑屈な心理そのものではないか。そもそも当事者意識がなさ過ぎて問題を認識できない人(=観客)に思想信条を問うこと自体の意味がかなり限定的であり、事は主義主張のはるか以前の「厭な物は無いことにする」認知の問題なのだ。
 若干当事者意識を伴った提案をするならば、自分は政治に無縁だと考えている人に対しては「This is a pen.」のように「ここに問題があります」という事を繰り返し繰り返し確認して、問題について一緒に考える前に問題そのものの存在を認識させることから始めなければならない。
 
 …我が国の近代の陽はまだしばらく昇りそうにない。
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