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『スーサイド・スクワッド』残念レビュー [レビューなど]

 DCコミックスの悪役ばかりで構成された特殊部隊「スーサイド・スクワッド」の活躍(?)を描いた、ファン待望の映画。
 …のはずだったが、蓋を開けてみればアメリカ万歳!ハリウッドアクション万歳!の薄っぺらな消費アクションだった。予告編が良かっただけに失望も大きかった。
 幸い原作コミックを2巻まで読んでいるので比較を交えてキャラクター毎に考えていきたい。(いろいろネタバレ含みます)・ウォラー
 部隊の立案者・創設者だがそもそもその動機がよくわからない。作中では「スーパーマンがいなくなって危機に対抗できる力が必要です」とか言ってるが「危機」とは何か具体的には全く描かれないし示唆もされていない。エンチャントレスの力を軍部首脳にアピールするためにイランの秘密兵器開発書類を盗ませる描写があるが、国家間の問題ならば外交問題であってスーパーマンが請け負っていた人類そのものの危機とは軸が異なっている。
 この「アメリカの危機=人類の危機」という誤解(もしくは思い上がり)は「正義と悪」という対立軸を矮小化し随所で物語の足を引っ張る。ただでさえ「正義と悪」という2極化は視点の多様性を損ない、観客側の想像力を毀損しているのに。そしてこのアメリカの俺様正義感こそが作中におけるトラブルの直接のきっかけであり、その処理を誤っているために観ている方は白ける。
 原作では彼女がリスキーなことこの上ない特殊部隊を立案するに至る切迫した危機と狂気の原因が、「危機」の存在とセットできちんと描かれている。あと原作ではメンバーに劣らぬほど強い。

・大佐
 原作にはないキャラクターだが、物語上はエンチャントレスとの浪花節展開のためにのみ存在し、あとは国家や軍隊といった最低の悪人集団の事情を言い訳する中間管理職的な役割を担っている。
 そして弱い。にもかかわらず態度だけはデカい彼への苛立ちが作品世界への没入を妨げる。古今、お上が偉そうにしてて面白い映画なんてほとんど無い。

・エンチャントレス
 原作ではまだ登場していない。
 南米で崇拝されていた6000生きた「魔女」とされているが、字幕の問題なのか言語でもそう位置づけているのか、根本的に誤っている。彼女はむしろ女神であり(きょうだい婚を匂わせる設定も世界各地の創生神話との共通性がある。)
 彼女にしてみれば眠りを妨げられていきなりこんな理不尽な仕打ちを受け、人間社会全般を敵視するのも無理はない。「スーサイド・スクワッド」が世界を救う必然性が弱すぎるのに対して、本作の悪玉たる彼女が人類を隷属させようとする理由はちゃんとあるのだ。このあたりのアンバランスも感情移入を妨げる。
 遂に一度も素顔を映されないまま「ぐんたいのきょうりょくなばくだん」で倒されてしまった弟が不憫でならない。

・デッドショット
 元の設定では自殺志願者とのことだが、90年代にリブートされた映画の原作コミックではその設定は影を潜めている。娘がいる、という弱点もあるにはあるが映画ではその側面が強化され、勢い余ってアットホームなパパになってしまっている。
 善悪の感覚もまともで協調性があり…じゃあなんで一匹狼のスナイパーになったか、という理由が明示されない。そこに人種的な限界があった、という事をごくわずかに匂わせている(「娘には一流の教育を受けさせてくれ」という台詞など)が踏み込みがあまりにも足りないために「いつものウィル・スミス」となっており、なんとも不可思議な「悪人」になっている。(ちなみに原作コミックでは白人)

・キラー・クロック
 巨大なワニ人間。人目を忍ぶために下水道で暮らしていた人喰いモンスター、という設定で原作ではキング・シャークに相当する。
 これまたそこそこの知能と、他者への敬意、協調性と浪花節を解する心意気を備えた人物として描かれており「悪人」としても「異種」としても中途半端な存在。
 彼こそは「悪人」と一括りにされる存在の多様性を担いうるキャラクターだったが、そもそも多様性についてまったく考慮していない制作陣の中で添え物として埋没した。
 原作のキング・シャークは状況が許す限り敵味方問わず食いまくる「歩く災害」ともいえるキャラクターだったが、ハワイの土着神と人間のハーフであり、時と場所によっては信仰の対象たり得た彼も現代のアメリカではただの人喰い怪人に過ぎない、という価値観の多様性が生み出す皮肉が笑い所となっていた。

・エル・ディアブロ
 もとギャングのボスであり怒りをコントロール出来ずに妻子を灰にしてしまったことから戦いそのものを忌避するようになった男。…とのことだが、彼が妻子と食卓を囲んでいる回想シーンはかなり異様で笑える。加えて妻から「このお金や武器は何?あなた悪い人なんでしょ!この嘘吐き!」と罵られる場面は大笑い。いやいやあんた、こんな全身タトゥーだらけの男が堅気だとでも思ってたの?
 原作では裏切り者の家を焼いたらその妻子も焼き殺してしまい、改心するという設定。加えて炎をコントロール出来るのも全身に彫り込まれたタトゥーの魔力によるモノで、力を発動させるとその規模に応じてタトゥーも消えてしまう。彼の外見の必然性は映画では一切触れられていないために上記の(本来は泣かせ所であるはずの)場面がギャグとなってしまっている。
 付言すると原作では、外見と裏腹な真っ当さから田舎町の人々に「やあ、こんにちわ」と挨拶するものの思いっきり引かれてしまう、というギャグ描写がある。彼もまたラテン文化の魔術的側面という多様性を担っている。

・キャプテン・ブーメラン
 小賢しい策を弄してはきっちり溺れ、必ず強い側に付いては主人公サイドに嫌がらせをする小悪党キャラ。
 本作では序盤こそ持ち前のセコさと奸計が描かれたが、中盤以降は浪花節にしんみりと盃を傾け、事もあろうにハーレイ・クインに倫理を説き、挙げ句の果てにいつでも逃げられるし手を貸す義理もない大佐の恋人奪還作戦に協力する始末。
 結果的に「悪の奔放さ」が理解できていない制作陣の石頭具合を象徴する便利屋キャラクターになっている。

・カタナ
 今のところ原作では未登場。
 殺された夫の魂が封じられた日本刀を持つ剣術の達人であり、受刑者ではなく大佐の護衛として登場する。だが彼女もまたエンチャントレスと敵対する明確な理由がない。(一度離脱しているし)
 本作における文化的多様性という側面を一人で担っている形だが、エキゾシチズムが強調されすぎて「頼りになるけどヘンな人」という際物扱い。
 原作ではアジア系メインキャラとして肉体の形態を自在に変えられる中国系の「ヨーヨー」というキャラクターが登場する。90年代で既に日本文化はアメコミにおいて新味を失っていたのかもしれない。流行という観点では古く、弱い印象。
 ハリウッド映画にしては珍しく、演者の日本語の発音が美しい。

・ハーレイ・クイン&ジョーカー
 彼らに関しては多少の甘さはあるものの、大筋では不自然な描写は目に付かない。というか彼ら(特にハーレイ・クイン)が魅力的に描けているので、この作品はなんとか企画としての体裁を保っている。


 エンチャントレスの項目でも触れたが、本作の依って立つ価値観はアメリカ中心主義。人の数だけ正義があったり、立場の数だけ矜持があったり、文化の数だけ倫理がある、なんていう90年代以降のアメコミ界の模索は無かったことになっている。(と断言していい)何しろウォラーに同情すべきポイントが全くないので、彼女が生き残ってしまうのはどうにも抵抗がある。
 他に目立つのは国家への絶対的な信頼から来る軍隊の依怙贔屓。軍人を格好良く描こうとしているポジションが本当にダサい。
 一例を挙げると、エンチャントレスが各国にアメリカが配置したレーダー基地を破壊すると、わざわざ基地の司令室のような所が映し出されてどこの馬の骨とも判らない軍人がいちいち「アンテナが爆発した!でもどうやって知ったんだ?」と叫ぶ。
 いや、破壊シーンと情報を吸い出されてるウォラーの描写だけで判るよ。バカにしてんのか。
 クライマックスでは悪の元凶は誰がどう見たってウォラー及び米軍なのに、よくわからない過去への反省からまんまと協力してしまう「悪人」たちにどっ白け。こんな邪悪で無理解で低脳でとんまな組織より、エンチャントレスに服属した方がよっぽど秩序ある世界で暮らせるんじゃないか?とさえ思ってしまう。

 この単純にして自尊心の欠片もない飼い犬倫理はとても同時多発テロの後に作られた映画とは思えないし、マーヴェルやディズニーの背中はあまりにも遠いと嘆息せざるを得ない。
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