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『スカイフォール』 母国への眼差し(ネタバレ注意!) [レビューなど]

 
 007生誕50周年記念作となる本作のテーマは、ズバリ「007とは何か」だった。
 冒頭で、本部の過酷とも思える指令によって味方に誤射され、生死の境をさまよった末に姿を隠した007。それでも彼はMI6が攻撃されたことを知り、ロンドンへ帰還する。
 観る側の感覚としては、臍を曲げてもおかしくない程の仕打ちを受けたと思えるのだが、彼は黙々とエージェント復帰試験を受ける。
 試験の結果はボロボロで、失態を繰り返したMに対する政府のお目付役、マロリーは彼の能力を疑問視する。しかしM自身はその懸念を何故か一蹴する。
 これらの疑問が、テーマへの伏線となっていく。

 007の存在を際立たせる悪役として、元MI6の凄腕エージェントにして世界的陰謀組織の親玉、シルバが登場する。
「007。君はかつてのわたしの足元にも及ばない」
 社会不安を引き起こす陰謀を玩具を弄ぶように語り、心変わりした愛人を玩具を投げ捨てるようにあっさりと撃ち殺す彼は、Mを「ママ」と呼び、彼女に「裏切られた」ことを深く恨んでいた。
 Mによれば、彼は任務を個人的な功名心から逸脱して、他のエージェントを危機にさらしたため、敵方に身柄を引き渡したという。その結果、シルバは機密情報を聞き出すため拷問を受け続けた末に毒物カプセルをかみ砕いて自殺を図り、だが死にきれずに全身が焼けただれた。
「彼一人で6人のエージェントが助かったわ」とMは言う。
 
 一度はシルバに囚われた007だったが、小型無線機で応援を得てシルバをMI6本部へ連行する。
 しかしそれすら計画に組み込んでいたシルバは、MI6本部のコンピューターシステムをかく乱し、隙を見て地下通路から脱出。
 小型無線機で通路を爆破、地下鉄事故を誘発して007を引き離し、格の違いを見せつける。
 NATOエージェントの個人情報を奪取された責任を問われ、政府の公聴会で審問を受けていたMを公衆の面前で殺害すべく、警官に偽装して会場へ向かう。そこのガードマン達を一欠片の感情も交えずに射殺していくシルバたち。
 しかし、追いついた007や、公聴会に同席していたマロリーらの必死の応戦により計画は未遂に終わる。

  それでもNATO工作員の生命が危機にさらされている現状は変わらない。
 007はシルバとの決着を付けるべく、政府には秘密裏に行動を開始する。スコットランドの荒野にぽつんと聳える自らの生家「スカイフォール」に初代ボンドカーでMを誘い、屋敷の番人キンケイドと共に手作りの武器で迎え撃つのだ。
 なお、キンケイドはMと旧知のようで彼女を「エマ」と本名で呼ぶ。また、彼はボンドの少年時代を知る人物。戸外の礼拝堂へ通じる地下通路をMに紹介しつつ、
「両親の死を知ったとき、ジェームズは2日ここに籠もって出てこなかった。出てきたとき、もう子どもではなくなっていた」
 と語る。
 その前にMが「諜報員には孤児が向いているわ」と語るくだりがあり、シルバもまた孤児であったことが示唆されている。
 
「特攻野郎Aチーム」ばりの手作り戦闘が、闇と焔、静寂と爆音のコントラストが際立つ映像で展開する。
 007が爆破した屋敷を後にキンケイドとMは礼拝堂に逃げ込むものの、シルバに追いつかれてしまう。
 シルバは手負いのMを狂乱しながらも気遣い、抱き寄せる。「ママ、一緒に死のう」と互いの頭部を撃ち抜こうと引き金を描けた瞬間、007の投げたナイフによって彼は斃れる。
 そしてMもまた息を引き取る。

 ラスト。
 公聴会の銃撃戦で受けた傷の癒えぬマロリーが007に指令を下す。
「わかりました。M」
 と受諾して物語は終わる。

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 シルバとは、どのような人間だったのか整理してみる。
 彼は大英帝国に忠誠を尽くす工作員だったが、それは「ママ」と呼ぶMへの依存の形をとっていた。母に褒められたいが為に任務の意図を先回りして独断で暴走し、職務上の当然の処置として切り捨てられた。彼にとっては母親に裏切られた時点で国家だの任務だのといった社会ルールを守る必然性は雲散霧消し、自らの幼児性に依拠した破壊活動を繰り返すようになった。
 その母性への渇望は、彼自身が孤児だったからかもしれない。彼にとって国の関係は、家庭内における親と子の関係であった。

 翻って007はどうか。
 Mを上司として「M」と呼び続け、自宅に勝手に上がり込んで傲岸とも言える態度で復帰を継げ、例え自分が裏切られても、そのことでMを責め立てたりはしない。
 彼にとって「M」とは「Man」(人間)以上でも以下でもないのだ。だからマロリーが新たな「M」となってもすんなりと受け入れる。
 また、彼は殺人のライセンスを所持しながら、それを無関係の人間に行使するようなことはしない。
 シルバと同じ孤児でありながら彼は「もう子どもではなくなっていた」のだ。
 彼と国の関係は、成熟した大人同士の社会契約であった。
  このような資質こそが、エージェントにとって最も大切な要件であることを、Mは誰よりも深く理解していた。だからこそ、本来ならパスする筈のない成績だった007の復帰を許可したのである。
 結局、能力的に優れたシルバと、彼には及ばない007の違いは「子どもか大人か」に収斂していく。
 
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 物語のまとめとしてはこれでおしまいだが、現実の我々が「母国」に思いを致す際、果たして「大人」だろうか?
 前作『慰めの報酬』における007のように母国さえ向こうに回して単独で戦うとまではいかなくても、国の名の下に行使される理不尽に対してその正否を自身で判断して些細な意思表示さえ行うことが出来るだろうか?
 我々は、時の政府にとって便利なだけの「扱いやすい子ども」になってはいないだろうか?
 憲法の理念をねじ曲げ、人権を制限すべく政府の権限を拡大しようと目論む政府が国民的支持を得ている極東の島国で『スカイフォール』を観終えたとき、作品のテーマが画面からこぼれ落ちてくるような気がしてならない。
 

『時刻表2万キロ』 [レビューなど]

二十世紀の国鉄完乗者

時刻表を眺めながら車窓を夢見るサラリーマンが、乗り残した国鉄全線を完乗すべく奔走した、仕事の合間の鉄道旅行記。
時刻表を熟読し、到着時刻から逆算して表記の裏に隠された乗り換えを達成したり、急行を追い抜く鈍行を見つけて悦に入ったり。しかしそうそう記述通りにはいかず、事故や寝坊や深酒でしばしば予定は狂い、果ては列車をタクシーで追いかけたり…。

鉄道とは移動手段にすぎないから、「乗る」ことを目的とするのはたいそう大人気ないとされている。ましてや、子供が好む物件だから尚更だ。巻末に纏められた書評各種も「馬鹿馬鹿しい」という前提は共通しており、著者本人も内心のこだわりや感動が露見しないように心を砕いている。その、時に涙ぐましい努力がまた、結果としてユーモラスなのだが。
裏を返せば、このような「純然たる趣味」としか申し開きのしようのない行為に、「お目こぼし」さえしてみせるような、厳格で分相応の「大人の分別」が存在していたのだ。この秘めやかな旅が遂行されていたのは1970年代半ば。現在「人に迷惑かけなきゃ何やってもいい」という一見寛大そうでその実酷薄なスタンスが定着して久しいが、良し悪しは別として時の流れを痛感する。
もちろん、作品の内容そのものも古典と化している。 最後は新線の開通していく様を、豊かな成長を示唆する園芸家の文を援用して「線路は続くよどこまでも」といったニュアンスで締めくくっているが、 著者が苦心してプランを練り乗りこなしたローカル線は、国鉄の分割民営化を経てその過半は姿を消した。つまり、本書は国家的に成長期の文学と言えるだろう。
放漫経営を指摘されていた鉄道事業さえ国家の成長に組み込まれていた。当時の国債残高は15兆円。それが、709兆円となった現在、新線として話題に上るのは長崎や金沢へ向かう整備新幹線だろうか。この一事をもってしても、隔世の感がある。
そして「海岸に見事な松林のある陸前高田のあたり」といった記述や、気仙沼線の開通を街を挙げて祝う住民の姿に至っては、虚ろな感慨を抱かざるを得ない。

著者の宮脇俊三は当時、『中央公論』の編集長。厳しい審美眼のフィルターを通した簡潔な文章からは時に格調すら漂い、行間から豊かな感性が垣間見える。
しかしこれまた作品の完成度とは別に功罪を生み出したと思う。ある程度社会的地位を備えた人物がこんな馬鹿馬鹿しいことをやらかしていた事実は話題性にもなったが、内容にそぐわぬ高尚さは以後鉄道ファンに対する誤解を生んだと思える。
今なお鉄道趣味にはシャイでおとなしい正気の大人の趣味というイメージがあるが、群れたがり群れたら騒ぎ分不相応にモテたがり、ヘッドマークを盗む者やイベントで一般客を押し退ける輩もいる。つまり、その他の趣味とたいして変わらない。本作からマニアにありがちな自慢の臭いがしないのは、ひとえに著者自身の人格に因っている。
「鉄道文学」の重要作にして鉄道趣味の伝導書である本書の完成度は、さろそろ日本経済に余裕が出てきた発表年代と相俟って、それほどの影響力を持ち得た。

デビュー作にして金字塔。
第5回日本ノンフィクション賞の選考にあたって「今後、ノンフィクションの世界にその領域での新たな展開すら予想できた」と述べた吉村昭は慧眼だろう。
(敬称略)
時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))

時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))

  • 作者: 宮脇 俊三
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1984/11
  • メディア: 文庫



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2012夏 なんとなく鉄道旅行(4) [大なり小なり旅の記録]

8/13

この日はちゃんと5時に起きることが出来ました。
外に出るとこの湿気。

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ここではまだ降っていなかったのですが、大阪府に入って東に進むにつれ、どんどん雨が強くなっていきました。

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高速神戸から梅田まで阪急電車に乗ってみました。
これがまた心地よいシートなのですね。そしてクロスシート。
関東で特別料金無しですと、京浜急行しか張り合えません。でもこっちは普通列車。

せっかく神戸に泊まったので、梅田まで阪急で。普通列車なのに速くて、揺れなくて、駅が少ないのに驚く。こんな私鉄は関東にはない。

阪急神戸本線は梅田~三ノ宮間32.3キロで16駅。(ちなみに、東急東横線は渋谷~横浜間24.2キロで21駅)
直線区間も多いので、普通列車でも100キロ以上出すとか。

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そしてこちらが終着、阪急梅田駅。

阪急梅田駅のスケールに驚く。でけぇ。なんだこれは。外野手に遠投でもさせる気か。関西に来たら私鉄を使ってみるに限るなあ。どうせたいした出費じゃないし。

和歌山へ行った際に使った南海の難波駅も凄かったですが、(http://kurohiko.blog.so-net.ne.jp/2009-09-02)関西の私鉄パワーに圧倒されました。


弱い雨がぱらついていた大阪からJR西日本が誇る高速列車、新快速で米原へ。

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遠くに雷がひらめき、大きな雨粒が車体を叩く音が響くようになりました。
すると、山崎付近の遮断機が雷に打たれて折れたとかで、列車は徐行運転することに。
この先ダイヤは乱れに乱れたので、予定時刻は記載できません。

結局、本来は新快速は止まらない安土駅で後続列車を待つことになりました。
時間に余裕が出来たので駅前へ。

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8時過ぎから開店している和菓子屋さんを見付けたので、コレも何かの縁と思い、小物をパラパラと購入。

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でもって、これらをチョイス。軍パイ…。アクシデントも旅の醍醐味♪

軍パイは…普通の味でした。パイの中にあんこ。
内助の功はいもあんの焼まんじゅうで、なかなか美味しかったです。


米原の乗り換えはぎりぎりだったので、結局「元祖鱒寿し」は買えず。
しかもJR東海では今度は人身事故の影響でダイヤ乱れ。
大垣までの列車はぎゅうぎゅう詰め。あーあーあー。

大垣からは1本やり過ごし、余裕を持って豊橋まで。
岐阜駅周辺のホテル群のネーミングセンスと建築様式について、じっくり観察してゆっくり考察したい。「館」「キャピタル」「スチュワーデス」…気になる。

とツイッターに書き込んだところ、訂正をいただきました。
なんでもホテル街と思っていたところは「金津園」というソープ街なのだそうです。(使ったことがないから分からなかった…)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B4%A5%E5%9C%92

「金メダルのまち共和」という幟が見えたので検索してみた。 http://www.obu-kankou.gr.jp/2066/%E9%87%91%E3%83%A1%E3%83%80%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%A1%E5%85%B1%E5%92%8C 余計わからなくなったでござる。この辺りじゃメダルが出土するのか?

豊橋から熱海にかけてのロングシート区間はひたすら耐えるのみ。
主に寝て過ごしました。
乗換駅の浜松では鰻の駅弁を買おうと思ったのですが…。

姫路、広島とあなご弁当を食べてきて、締めに浜松で鰻の駅弁買おうと思ったが、ひつまぶし弁当が1300円から1600円に値上がりしていた。突然、なんかいろいろどうでもよくなって買うのを取り止めた。これもまた時勢か。

ひつまぶし弁当、2001年は980円だったのですね。
今年は危機的な鰻の不漁。資源保護の観点が食欲に割り込んできます。

島田の売店でお稲荷さんなどを補充したものの、結局熱海まで駅弁は買えず。
グリーン車で待ちに待ったこちらをいただきました。

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「炙り金目鯛と小鯵押し寿司」
アクシデントに苛まれた本日、最初のまともな食事は熱海で買った押し寿司。旨いよう。旨いよう。まあ、この列車で旅はおしまいなんだがー。

この、東海道本線のグリーン車。特に旅の終わりには実に快適です。
精神的に余裕が出てきて、観察眼も冴えてきます。

【速報】茅ヶ崎駅で、チャールズ・ブロンソンと由利徹を足して2で割ったような中年男性を目撃。

このように。

今回は翌日仕事があったので余裕を持たせて夕方に帰り着くようにしましたが、最終日のトラブルもあり、結果的には正解でした。
天候や不注意から旅程の変更もありましたが、それなりに楽しめたと思います。
しかし、5時起きが辛くなってきたとは、やはり歳なのかil||li _| ̄|○ il||l

長々とおつきあいいただき、どうもありがとうございました!

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2012夏 なんとなく鉄道旅行(3) [大なり小なり旅の記録]

8/12

1時間以上寝坊しちまった!

はい。
いきなりこのざまでございます。
居心地が良かったんでしょうね。
慌ててチェックアウトしたらiPodのケーブルを忘れてしまいました。
でもお昼頃に携帯に電話をいただきまして、すぐに自宅に送ってもらえました。
東光ホテルさん、ありがとうございましたm(_ _)m

しかし、今回の目的のひとつだった三江線には乗車できません。時刻表をめくると西へ向かった方が吉、と出ましたので(高島易断かよ)、やや小走りになって浜田駅へ向かいます。

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宿は駅近くの高台の上にあるので、眺めがよいのですが。
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駅へ急ぐためにはちょっとホラーな急階段を進みます。これも旅の思い出ですw

・浜田0649~益田0735

日本海の海岸沿いを走る山陰本線からの眺めはこんな感じです。

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このあたりは予定通りですと前日の夜に通る予定だったので、むしろアクシデントがあって良かったかもしれません。
水、きれいだなあ。

益田駅で15分ほど余裕があったので、駅前へ出てみました。

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駅にこんな感じのお店が入居してる益田駅、かっこいいです。
時間が合えば是非とも入って見たかったのに。残念。

・益田0750~長門市0942

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三江線を諦め、美祢線経由で山陽本線に出る。益田から乗り換えた列車はロングシートなり。咳き込んでる、というか痰が切れない人が目立つ。

ロングシートはどうも旅情が出ません。って、旅行者の勝手な言い分ですが。
しかしそんな心情に構わず、車窓はいよいよ美しさを増していきます。

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とはいえ、過疎の側面も目に付きます。
蔓草に飲み込まれた民家の傍らに、真新しい自民党のポスター。萩まで はまだ少しかかりそう。


・長門市0957~厚狭1101

時間があればここから北へひと駅だけぴょろっと延びている山陰本線支線に乗って仙崎まで行ってみたかったのですが、我慢我慢。

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美祢線の車両もロングシートでした。こっちに乗りたかったなあ…↓
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美祢線では天候がコロコロ変わり、まだ一帯の大気は不安定なようでした。
とはいえ、列車は止まることもなく無事に厚狭へ到着。
そろそろお腹が空いてきましたが、しばらく駅弁は買えそうにありません。


・厚狭1109~新山口1143

新山口は、かつて小郡「おごおり」と呼ばれていた新幹線停車駅。厚狭は「あさ」と読みます。難読です。
このルートは内陸を走ります。海岸沿いはかつての山陽本線、岩徳線があり、トンネルの掘削技術などの発展によって内陸部をショートカットするようになった経緯は呉線と同じです。


・新山口1148~岩国1342

ここからは瀬戸内海の車窓が楽しめます。
山陽本線は瀬戸内海沿いを走っている印象ですが、くっきりと海が見える区間はそんなに沢山はありません。

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南岩国駅の南側は一面の蓮畑。これはちょっと壮観でした。


・岩国1405~広島1457
今回の旅行でこのルートを乗車するのは3度目になります。

さて、列車の窓枠には日本の若者の掲示板。十中八九どうでもいい落書きが刻まれているものです。
この列車にはこんなものが。
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そうか。よかったな!(岩国発の列車にて)

広島ではお土産を物色し、駅弁をゲット。本日ようやくまともな飯にありつけます。


・広島1545~福山1732

さて、買い求めた駅弁はこちら。
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昨日の姫路に引き続いてのあなごですが、コレが美味いのなんのって!
柔らかくて薫り高くて、箱の左上のケースに収まっている骨のスナックも香ばしくてよろしいのですね。
京王百貨店の駅弁大会で見かけたら即ゲットしよう。そうしよう。

広島駅の「夫婦あなごめし」。ふんわり柔らかい穴子を特製タレで召し上がれ♪付け合わせの骨スナックもなかなか良い。


さて、映画ファンなら知らなきゃモグリ『東京物語』の聖地、尾道。(大林宣彦とかもありますが)
その趣深げな街並みに心惹かれますが、あまりの高低差にこの時期はやめておこうと思いました。
涼しい時期に尾道を散策してみたいなあ。


さて、やってきましたのは広島県東部の中心都市、福山。
なぜここで時間を取ったかといいますと。

福山を通る度に気になってたお城へ行ってみました。 ホームに向かってズラリと銃眼を揃える物騒な福山城。本丸の中はありがちな資料館でしたが、冷房がないので汗噴出。すっかりゆで上がった頃に天守閣到着。

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天守閣からの眺めはこちらになります。

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室内には昔懐かしい、でも意外と全国の観光地にまだ残っている記念メダルの自販機。
お土産にひとつ買おうと思ったのですが、鎖を買ったところで小銭切れ。
なんだこの『賢者の贈り物』みたいなオチは。

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銃丸からホームを望むとこうなります。

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では、こちらの戒めを持ちまして福山からお別れしましょう。


・福山1812~岡山1900

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こちらに乗って岡山まで。元祖新快速の117系ですね。

倉敷に「101回目のプロポーズ」ってホテルがあった…。

岡山でお土産を物色。
姫路行き列車のホームはけっこうな混雑でした。

岡山駅、行列はできるがガキが割り込んでくる。割りと当たり前の光景らしいが、自分だけがグズのようでけっこう凹む。だが、田舎なんてこんなもんかと思ったら諦めがついた。

躾が悪いっていうか、この辺では普通なのかもしれません。
で、こういう人も上京するとマナーを守るようになるから不思議~。


・1812岡山~1900姫路

東海道本線の熱海~浜松間、大垣~米原間と同様、この姫路~岡山間も便数が少ないので、列車あたりの乗客は多くなります。


さて、関西に来たら出来るだけ私鉄に乗ろうと思っておりました。
関東とは格も多様性も違うのですね。

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というわけで、姫路から神戸(高速神戸)までは山陽電鉄に。
姫路から大阪(梅田)までって、けっこうな距離です。
かなりのスピードでぶっ飛ばして、今や同じ会社となった阪急と阪神が乗り入れる地下駅、高速神戸に到着。


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この店名はいったいどういう意図で名付けられたのでしょうか…。

スーパーで夕飯を買い込んで宿に向かいます。
神戸は六甲山地の麓にへばりつくように展開しているので、有馬道をちょっと上ったところに宿はありました。

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お土産もいっぱい買ったし、前日夜更かしした経験を生かして、この日は早めに床に就きました。(つづく)
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『おおかみこどもの雨と雪』及び細田守考(続) [レビューなど]

「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」のポッドキャスト「細田守監督と邦画を語る」を聴いた。(以下敬称略)
『台風クラブ』『マルサの女』など、80年代の邦画の中から細田監督が選んだ5本について宇多丸と盛り上がるのだが、それらの作品を知らないと全くついていけない。
「あれ、いいよね」「ああいうのやりたいんだよね」
「わかるわかる~」
といった、リスナー置き去り対談の中から、ここぞという要素をパーソナリティー宇多丸がすかさずピックアップして『おおかみこどもの雨と雪』に結び付ける。

後半ではその『おおかみこどもの雨と雪』の中で宇多丸が疑問点を尋ねるのだが、案の定答えに窮する細田監督。
そうだろうなあ。「ああいうの」を「やってみたかった」だけなんだろうから。
例えば、
「なぜ、おおかみおとこは獣の姿のままで花とセックスしたのか」
については、散々考えあぐねた後で、
「あの場面を省略するという意見は現場でもあったが、種を飛び越えて共に暮らしていく彼らの結び付きを、言葉に頼らないで描いてみたかった。それがそのあとの花の覚悟に繋がっていくんじゃないかと」
とのこと。
なるほど。作り手としてはそうかもしれないけど、見てる側としてはよく意味がわからなかった。
「言葉なんて信用できないから」
とも言っていたが、そう言いきるにはまだ力量不足なのではないだろうか。
因みに自分はこのシーンには別の意味に捉えていた。
つまり、おおかみのちんこに合う避妊具が無かったので、図らずも花が妊娠してしまったのではないか、というもの。
現実問題として、異種形態の交合の結果としてしなくてもいい苦労を背負うことになったんじゃなかろうか、と。
そもそも、人目を避けて暮らしたいのなら、田舎で子供作れよ。(細田監督は『都会の片隅で暮らす彼らの姿を描きたかった』とも言っている)
本作の主人公夫婦の行き当たりばったり加減には目に余るものがあるが、細田監督の「ああいうのがやりたかった」に起因していとしたら、真面目に批判するだけ無駄である。

先の記事で、自分は細田監督の「公共性を持った、現実に対して肯定的な作品を作る」といった矜持を「技術者のようだ」と述べた。
ひとつの例として、自分の父親は理系の技術者だったのだが、自分の仕事を他人に上手に説明することができない。自分の仕事と社会の接点について、考えたことも、その必要性を認識したことすらないようだ。
だから自分は、彼が何をやっていたのか未だによく分からない。
要求されたことをきちんと遂行出来ていればそれでよしとする閉鎖性は、世間ではさほど珍しくない。文句も出ないならいいだろう、と。
しかしそれは自己主張の欠如、不全だと思う。きちんと自分の言葉を、時間をかけて紡がなければ、大切なことは伝わらない。
それは言葉を信じる信じない以前の、コミュニケーションに対する誠意だと思う。
「こんなに大きくなりました」と子供の写真を載せた葉書。
「俺はこんなに苦労した。だから俺の言うことを聞け」という説教。
「こんなに努力したのに報われない」という泣き言。
これら知ったこっちゃない「表現」と本作の、
「やりたいからやりました」 「後は察してよ」
というスタンスは、本質的に似ているように思える。
いや、上の三つの例えはまだ社交辞令の範疇で笑ってやり過ごせるが、有料作品としてそれをやられても、反応の仕様がない。
こちらがお金を払っているのに、なぜわざわざ制作者の意図を汲んでやらなければいけないのか?
それはつまり「リアリティライン」の設定が出来ていないということであって、どこまでをホームドラマとして、どこからをおとぎ話としてとらえればいいか、細田監督にも明確な答えを用意できていないのである。(とはいえ、この手の未熟さは邦画には珍しくない)

では、『おおかみこどもの雨と雪』においてどのような制作スタンスが望ましいのか?
観る側の「公共性」を期待して世界の美しさを訴えたいなら、きれいな絵を見せて「ほら、世界は美しい」じゃダメで、「それでも、世界は美しい」でなければいけない。
何故なら、世界は既に汚れており、さらに自分もまた汚染に荷担しているからである。
「現実を肯定する」作品を提示したいなら、作り手自身が無邪気に現実を肯定していたらお話にならない。
「僕が考えたセカイ」を、受け手の良心を期待して提示するのは、虫が良すぎやしないか。
そのような認識で作られた作品に対して、受け手には追認するか、弾かれるかの選択肢しか残されていない。
本作の気持ち悪さは、恐らくファンと作り手が無批判に形成する閉鎖性、共感の独占から来ているのではないか。
外部から見た荒○座の演劇、○福の科学のアニメ、○教新聞の4コママンガ、そういったものに通じる気味の悪さである。
自分の持つ公共性への無自覚によって、作品そのものの公共性を損なっているように思えてならない。

細田監督は、いつか徹底的なエゴイズムと自分の言葉でとびきりのフィクションを完結させてほしい。
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2012夏 なんとなく鉄道旅行(2) [大なり小なり旅の記録]

8/11
朝はきっちり目覚めました。
テレビをつけたらオリンピックの男子サッカーの日韓戦を中継していたのですが、どうにも締まらない形で失点していたので心置きなくテレビを消して、予定通りの時刻に出掛けることが出来ました。
「ちょこちょこ観てたかぎりでは、日本はメキシコ戦の3点目の取られ方を心がけていたようだぬ。まあ、普段のオリンピック代表に回帰したわけか。 」

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旧暦の七夕でしょうか。この時期の七夕飾りも新鮮です。
嵐はキティちゃん並みに遠い存在であることを学びました。

・京都0544~姫路0755
程なく寝落ちしたらしく、大阪あたりからの車窓の記憶がありません。

・姫路0800~岡山0928
短い編成の列車に乗り換えることとなり、混雑する姫路駅ホームで素早く駅弁を購入しました。
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「あなごめし」。
可もなく不可もなく、といったお味でしたが旅行者に不足しがちな野菜が豊富なので助かりました。

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「姫路からの岡山行きは大混雑。京都からの2時間をほぼ寝ていたので立ちっぱなしも割合平気。しかし何故にまっ黄色なのかこの列車。」

これはツイッターでフォロワーさんに教えていただいたところによりますと、JR西日本は路線によって色分けしているところなのだそうです。
山陽本線はこの色で、湖西線は緑色だとか。
ちなみに、このあと糸崎では、東日本では目にすることがなくなった湘南色の車両を見付けました。


「姫路から1.5時間耐久立ちっぱなし続行中。BGMはThin Lizzyから井上陽水へ。周りはロック系バカップル、奥さん拒食症系中年認めない夫婦、新書読み上げ系インテリ風カップル(♀が江川紹子似)など花盛り。」

それにしても、ツイッターでは酷いことばっかり言ってるな、自分w

・岡山0947~糸崎1117
「岡山着。三原行き座れた~\(^^)/」
岡山から広島にかけて集中豪雨に見舞われたようで列車もしばしば徐行運転を余儀なくされ、ダイヤが乱れます。
そして山口県内ではさらに酷かったようで、午前中一杯不通だったところもあったとか。

「へー。宝塚でも銀英伝やるんだ。ルッツとかケンプとかシェーンコップとかビュコックのキャスティングに期待。当地の電車の中吊りって知ることも多い。」

・糸崎1127~岩国1339
↑この時点でこれより10数分遅れています。
しかも酷い混雑です。

「山陽本線、三原から広島にかけて大雨による遅延の影響で笑っちゃうほど大混雑。ドア脇で平仮名みたく身をよじらせつつツイートなう。あーあーあー(泣)」

「膝カックンされてるような微妙な態勢なう。JCらしき有機物の前にちんを突きだしつつあり、なう。ああ、糸崎で駅前の撮影なんかせずに座席を確保すればよかった、なう。雨上がりからぐんぐん気温も上昇中。何この3Dツイスターゲームみたいなよじれ態勢。お尻をコツコツ突かないで!ひぃああ! 」

「広島なう。たった2分後の列車を待てずに殺到する人が意外に多い。 」

「宮島口で若いもんがドコドコ降りていった。今日は花火大会があるらしい。それと豪雨の混雑が重なったのか。2時間ぶりぐらいで座れた。」

「『東京物語』ゆかりの尾道、『ハンテッド』ゆかりの三原を通って『天皇伝説』ゆかりの岩国へ。 」


・岩国着
なんとか岩国まで来たのですが、先ほど述べた午前いっぱい不通の影響でダイヤは大幅に遅れていました。
そこで予定を変更することにしました。

「岩国まで来たが、山口県の山陽本線が午前中いっぱい止まっていた影響は大きかった。幡生から山陰本線回りを諦め、広島から高速バスを使って浜田へ向かうことにする。ここ数年の鉄道旅行はアクシデントに遭遇する確率が高い。 」

「まあ、追加の出費といっても3000円程度なんだけど。」

去年末の北海道旅行でも、帰りは大寒波の影響で羽越線が止まったりしていたのでした。
そんなわけで、以下の行程がおじゃんになりました。
岩国1347~幡生1646
幡生1653~滝部1809
滝部1827~長門市1915
長門市1919~益田2108
益田2139~浜田2226


翌日に予定していた広島観光を1日繰り上げ、雲の退いた広島市内を歩きます。
途中でつけ麺など食べて、着きましたのは今回の旅の目的地、平和記念資料館。
初めて訪れます。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/index.html
20120811 07.jpg

入場料は大人50円です。
入ってすぐの東館では、広島という街が「軍都」として発展していく過程や、原爆投下が決定されるまでのアメリカ側の動き、ざっと概観した原爆の被害、その後の復興、核開発競争時代の各国の核実験、核廃絶への世界の取り組みなどを知ることが出来ます。
そのあと、渡り廊下を通って本館に至ると展示内容はぐっと生々しくなります。
原爆投下直後、火の海と化した瓦礫の街を、腕から爛れた皮膚を垂らして彷徨する母子のジオラマや、直接熱風を浴びてボロボロになった被爆者の服などが展示されています。
長崎の原爆資料館には2009年に行きましたが、その時と同様、こちらにも若いカップルの姿が目立ちました。
彼等はこれらの展示を前に、言葉を無くし、鼻を詰まらせ、辺り一帯には鼻水をすするズビズビという音が響いていました。他ならぬ自分もまた、ズビズビいっていたのですが。
最高で6000℃とも言われる熱に晒され表面に気泡を生じた瓦に触れる事が出来ます。
そのあり得ない感触から、核兵器がもたらす想像を絶する作用に思いを馳せます。

資料館を後にすると、高速バスの発車時刻が近づいていました。
原爆ドームの撮影もほどほどに、市電の乗り場を捜します。
20120811 08.jpg
「いろいろ見てたら思いのほか時間食った。昼飯に迷ったのと、セミの救出に割いた時間が悔やまれる。高速バス出発まであと10分。市電はけっこう遅い(泣)」

「ダッシュ一番、かろうじて高速バスに間に合った!飲み物買いたかったよう…。おしっこしたかったよう…。あと2時間!」

高速バスに乗るのは初めてでしたが、夜の車窓はなかなか趣深く、片側1車線の浜田自動車道も快調に流れており、ピンポイントの冷房も強力でよろしかったですよ。
20120811 09.jpg
よっぽど広島で汗をかいたのか、休憩のパーキングエリアでは紅茶飴のような色のおしっこが出ました。あーあーあー。

浜田には21時過ぎに到着。
自分が宿を決めるにあたって、チェーンのホテルよりも地元の施設、新しいところより古めの施設、という基準を定めています。
スケジュールの都合が付く範囲内で「ここだ!」と見定めたお宿は期待に違わぬところでした。

20120811 10.jpg
「浜田のホテルが予想通り良い。紆余曲折あって観光ホテルからビジネスホテルに改装した感が。廊下のプレートには「3人用」と書かれており、広い部屋。テレビの前の円卓の所在無さげな佇まい。」

20120811 11.jpg
フロントに、東京では見たことのない経済誌を見付け、とんでもない経済音痴であるにもかかわらず、部屋に持ち込んで読んでしまいました。
うーん、提灯記事多めw(あたりまえだ)
ただ、近々島根でこのような博覧会が開催されることを知ることが出来ました。
http://www.shinwahaku.jp/

この日はいろいろありましたが、終わりよければ全てよし。
いっぱい汗をかいた日に飲むビールはおいしかったです。

(つづく)





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2012夏 なんとなく鉄道旅行(1) [大なり小なり旅の記録]

去年は震災のこともあり東日本に旅行したのですが、今年は西へ行きたくなりました。
いろいろと日程の都合もあって(もちろん仕事以外の)纏まった休みは取れなかったのですが、お盆休みを利用して待ちに待った鉄道旅行へ。
どうも何ヶ月に一度は泊まりがけで遠出しないと精神的に沈滞するようで、特に見所も盛り込まずに乗車計画だけみっちり詰めて出掛けました。


8/10
今回もまた青春18きっぷで漫然と車窓を眺めるのが趣旨ですが、一番遠くまでは山口県まで行きます。
本当は平戸でかすどうすを食べようと、九州エリアの周遊きっぷを使おうと思ったのですが、東海道新幹線は割引の対象外なのですね。
JR東海地獄に落ちろ。

とはいえ、仕事帰りに出掛けてなるたけ遠くまで距離を稼いでおきたいので、新幹線を使います。
ほぅれ銭をやるぞ。這いつくばって拾えよJR東海。

・品川1810~静岡1906
お盆休み前とあってさほど広くない品川駅の新幹線ホームには長蛇の列。
振り返ってみれば、混雑の中にあって粛々と列を形成し、年齢を問わず順序よく乗り込むあたりに東京らしさを感じます。
さすがに自由席では座れるはずもなく、立ちっぱなしで1時間。
どこかに掴まらなくても両足だけで踏ん張っていられる、流石の新幹線クオリティーを満喫しました。

・静岡1913~浜松2011(ホームライナー浜松3号)
静岡駅の在来線ホームもけっこうな人出でした。
ホームで予め(ライナー券)を購入するほうがいいのですが果たせず、車内で購入。
ちなみに、東京~熱海間のグリーン車と異なり、車内で買っても値段は同じ310円です。
小田急線に乗り入れる特急列車「あさぎり」の車両を使った快速列車なのですこぶる快適です。今のうちに寝だめしておきます。

・浜松2013~豊橋2045
このエリアは夕方に通ると競艇帰りのおっさんたちが強烈な個性を発散しているのですが、流石にこの時間には見付けられませんでした。

・豊橋2051~名古屋2143
このあたりになると乗客も数が減ってきて、車両もクロスシートなので予め買っておいた神戸屋のカレーパンをいただきます。

・名古屋2210~米原2238
20120810 01.jpg
ここでも再び新幹線に乗車。さすがにカレーパンだけだとお腹が減るので売店でプリッツを購入。
この時間ですと、駅そばもお弁当屋さんも閉まっています。
なお、この旅行記ではしばしば当時呟いたツイートから引用してみようと思います。覚え書きとして活用できるかと。

「名古屋暑い。この時間だとお弁当も売ってない。新幹線ホーム来る前に改札の外で買い込むのだった。お腹すいた。」

「岐阜羽島停車中。ホームからどどーん、と見える「 こんなおいしい水があったのだろうか?超★海洋深層水マハロ 」という看板が謎すぎるw」

・米原2241~京都2350
新快速も終電1本前なので空いていました。
真っ暗な車窓がら外を眺め、うつらうつらしているうちに本日の宿泊地、京都到着。
20120810 02.jpg

この日のお宿はこんな感じ。
20120810 03.jpg

おりしもオリンピック期間中だったので、寝る前にいろいろ見てしまったりしました。
おかげで睡眠時間は4時間ほど。
旅の初日でこれはまずい…。

(つづく)
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『おおかみこどもの雨と雪』及び細田守考 [レビューなど]

昨日観た『おおかみこどもの雨と雪』を扱ったシネマハスラーのポッドキャストを聴いた。(以下敬称略)
リスナーの評価は7(賛)3(否定)ぐらいで、好評不評は極端に分かれたらしい。
宇多丸はほぼ全肯定的な評価で、特にアニメーションならではの長いスパンの成長の描写と、きめ細かいディテールを賞賛していた。
肯定派の評価ポイントは、
「絵がきれい」
「きめ細かなディテールが豊かな奥行きを感じさせる」
「主人公に共感し、感動した」
等々。
かたや否定派のマイナスポイントは、
「物語がご都合主義」
「主人公(母親)が完璧すぎ」
「物語が説明不足」
等々。

自分は否定派に入る。
確かに本作はこの尺のアニメとして良くできていると思う。
絵の美しさ、おおかみこどもの可愛らしさ、四足歩行の動物視点での疾走描写、台詞以外で情報を提示する手際のよさ、日常的なアクションの自然さ、声優陣の好演…どれもアニメとしてかなりの出来映えであり、否定派の舌鋒が鋭くなるのも、この完成度の高さを反映しているようだ。
しかし、それらは「器」である。
どんなジャンルであろうと、最終的に問われるべきは料理(内容)であって器ではない。
自分は本作を見終わってほとんど感情が動かず、確かな技術で作られた精巧な器としか感じられなかった。
物語として奥行きがないとは思わない。しかし主題に柱がないのだ。作劇として必須の背骨が感じられない。

否定派の「ご都合主義」「母親が完璧すぎて鼻につく」といった意見を、宇多丸はたしなめる。
母親が移住先の村で受け入れられる段階も、彼女が周囲の理解など得られようのない子育ての中でも病んでいる場面もきちんと描かれていると。
本作は言葉によらず、絵の中で説明がなされる作品であり、アニメでは珍しい引きのショットも目立つ。
確かに自分も視覚的な気配りは感じたつもりだが、それでも説明不足との感を拭えなかった。その理由をこれから述べる。

本作の粗筋を知り、観終わってより明瞭に共通点を意識した作品がある。『誰も知らない』『空気人形』などの是枝裕和の監督デビュー作品にして江角マキコの映画デビュー作品、『幻の光』である。
粗筋としては、二人めの子供が生まれたばかりの状況で夫が原因不明の死を遂げ、残された母親は能登の漁村へ嫁いでいく。そして時が流れ…というもの。
台詞は少なく、色と光の抑えられた静かな場面が続く。
『おおかみこどもの雨と雪』のオフィシャルブックの貞本義行(キャラクターデザイン)のインタビューによれば、本作の設定と家族構成を描くにあたってこの『幻の光』を意識したそうだ。
また宇多丸は「引きの画」の多用など画面構成の類似点にも触れている。
さて、このように共通点の多い両作品だが、同様に配置されたラストのクライマックスを経た観賞後の感覚は大分違った。(当然、これは自分の所感にすぎないが)
『幻の光』のネタバレになるが、優しい人々に囲まれた穏やかな暮らしの中でも主人公は亡き夫の面影を忘れられない。日々の暮らしのなかで一人になったとき、ふっと不安げに遠くを観るような仕草をする。
死因が判らないので「ひょっとしたら彼は、自分との生活から逃げるために自殺のかもしれない」という疑念から、自分が幸福だと感じていた日々に確信が持てず、故に現在の幸福に対しても及び腰になっている。
ラストで彼女は現在の夫に対して「こんな自分に愛される資格はない」と言って泣く。
しかし夫は、そんな彼女の葛藤に気付いていた。その上で「それでもそんな君を愛している」と告げる。
それまで朴咄と描かれていた夫の、秘めていた深い愛情が最後に明かされる。

翻って『おおかみこどもの雨と雪』でもクライマックスで母親は自分の心中を印象深い言葉で吐露する。しかし、伏線も取っ掛かりもないので、観る側としてはやや面喰らってしまう。
終盤で唐突に炸裂する、彼女の子供への執着を裏付けるものが提示されないので、その心情は観ている側で埋め合わせるしかない。
それが「母性本能」とか「子供を育てればわかる」とか「言葉にするようなものじゃない」では、それはあまりに無責任じゃなかろうか。
この作品は一事が万事この調子、といって良い。作中で出現する「父親はどうして死んだのか」「どうして地元住民と仲良くなれたのか」「なぜ狼は人間から嫌われるのか」といった疑問に対して答えは示されない。「でも、現実ってそういうもんでしょ?」というのがこの作品にとっての正答なのかもしれない。

細田守の前作『サマーウォーズ』は、「なんだか判らないけどとにかくすごい大家族が、身から出た錆として発生したよく判らない仮想世界の危機を、団結の結果なのかよく判らない経過を経て救う」というわかったような判らないような話だった。
予め「あるべき大家族」「よくある感じの仮想世界」というお約束の上でハイテンションに物語が進行していくので、それらのフォーマットに適合できないと観ていて苛立ちがつのった。
本作でもその基部構造は継承されており「あるべき母親像」「あるべき幸福像」「あるべき社会像」の上で、それら前提への疑問を遮断したまま物語は美しい絵とともに滑走していく。
そこには「作り手がどうしても訴えたいこと」は感じられない。「そういうお話」なので感動のしようがない。
「器のみ」「骨格がない」「説明不足」と思う所以である。
そのような、言わば「借り物作劇」の上滑りぶりは、言葉による説明を省いている分、前作より悪化している。
この種のテストのような作品は、前提に同調できない者にとっては大変居心地が悪い。
しかもテーマが「家族」や「親子の情」といった逃げ場のない普遍性である場合、逆に感動できない方が後ろめたさを感じてしまう。

宇多丸は、
「公共のためになる作品を作るのが自分のモットーである」
という細田の心構えを称賛する。
細田作品に対し強い拒否反応を示しがちな否定派の心情を
「細田の作風である健全さ、世界への肯定感への反発ではないか」
と仮定した上で、
「でも、そんなに世界を肯定的に描くのって悪いか?」
と問う。
ならば、借り物の道徳観念を示唆するのではなく、自分が強調したい「大切なこと」を自分の言葉できちんと提示すべきではないか。
そもそも細田の「心構え」とは、映画監督というよりは職人、いや技術者のそれではないのか。
つまり「公共」の形が変われば、作品の主題も変わるわけだ。それはもはや主体性を持った個人の表現活動とは呼べまい。
表現活動云々に限らず、知らず知らずのうちに悪意に荷担したくなかったら、また本作の主人公のように大切な人を守りたかったら、「健全」だの「公共のため」だのといった言葉は真っ先に疑った方がいいと思う。

細田作品への拒否反応とは、提示された主題への好き嫌いといった嗜好ではなく、このような「あるべきもの」を前提とした表現から漂う同調圧力を気持ち悪いと感じるかどうかの違いであろう。
この手の作品がよく判らないまま持て囃され、細田が「日本を代表するアニメ監督」とされている現状そのものを、自分は気持ち悪いと感じる。
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お笑い大阪市 [雑記]

久しぶりの更新がこんなふざけたネタですいません。

ツイッター経由で知ったのですが、大阪維新の会が市議会に提出するという家庭教育支援条例案が面白いのでご紹介。

http://osakanet.web.fc2.com/kateikyoiku.html 

獲得形質と先天性障害を意図的に結びつける無恥っぷりもさることながら、前文だけでも「いきこもり」「本県の未来を託す~」など謎の単語が炸裂。
大阪市はいつから大阪県になったんだw
コピペ疑惑も浮上中とか。

一番どうかしているのはココ↓


第4章 (発達障害、虐待等の予防・防止)

(伝統的子育ての推進)
第18条
わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する


伝統…パネぇw
こりゃあ一時期流行ったゲーム脳と五十歩百歩ですなあ!

※ちなみに一般常識のおさらいはこちら→http://development.kt.fc2.com/frame.html

自分はこれまで「大阪維新の会」を政治団体だと思ってきましたが、地方行政に寄生するカルト集団だったみたいですね。
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『メランコリア』ネタバレ全開評~正しい世界の終わりかた [レビューなど]

ラース・フォン・トリアー。
気が滅入るような作品を撮らせたら天下一品と言われているデンマークの映画監督です。
実際、話題になった『ドッグウィル』、『アンチクライスト』のあらすじを知っただけで観にいく気が失せます。
しかし、そんな予備知識のないうちに、予告編を頼りに観た『メランコリア』は大変気に入りましたよ。
この作品はイカれた妹ジャスティンの結婚式を描いた前半部と、天体の異常接近に怯えるまともな姉クレアを描いた後半部に分かれております。
結婚式と天体衝突?これがシームレスに繋がるのですね。天体に名付けられた「メランコリア」(鬱)という一点において。


のっけから田舎道には適さない長大なリムジンで自分達の結婚式に大遅刻するバカップル。
壮麗なウェディングドレスを纏った巨乳パツキン姉ちゃんが、「スパイダーマン」シリーズのヒロインとして不評を浴びたキルスティン・ダンスト演じる妹、ジャスティン。
彼女をカリカリしながら迎えるのは式場である城郭ホテルのオーナーに嫁いだしっかり者の姉、クレア(シャルロット・ゲンスブール)。
俗物を体現したようなジャスティンの上司とその無能な甥をはじめ、散々待たされた招待客を前に彼女の暴走はエスカレート。
最初はお色直しと称してゴルフコースへ繰り出して放尿する程度でしたが、次第に非道の質は悪ふざけから病的な奇行へと様変わりしていきます。表情もいたずらっぽい笑顔から次第に陰欝に、眼差しは虚ろに変化していきます。
姉妹の両親は離婚しており、現在の妻子同伴で繰り出した父親はウェイターをからかい、不機嫌そうな母親は結婚式への悪意に満ちたスピーチで場をドン引きさせます。
クレアはそんな両親を反面教師にして成長したんだと得心する半面、じゃあジャスティンの奇行はどちらから受け継いでいるのか?という疑問が湧きます。
これはすぐに明かされるのですが、よりによってケーキ入刀の段に至って母子それぞれ湯舟に浸かっているのですね。
全てが終わってしまった後、ジャスティンが母親に会いに行くと「あいつらにはわからないわ。逃げなさい」と言われます。
父親の奇行は茶目っ気であり社会適応の一形態なのですが、母親のそれは病的な不適応なのですね。社会に適応できない(理解されない)とわかっているから結婚という社会的契約(というか制約)に我慢がならない。

この違いが理解できなかったのが、あろうことか新郎本人。ノリのいいボンボンの善人です。
目が虚ろになりはじめたジャスティンに対して一枚の写真を見せ、
「田舎の土地を買ったんだ。ここで静かに暮らそう。ほら林檎の木が綺麗だろ」
とか優しく語りかけるんですが、ジャステインは上の空。フラフラと移動した尻の下から写真が舞い落ちる始末。自分の気遣いが踏みにじられて、新郎大ショック。
しかしこれは悪意ではありません。症状です。
傍目には理解しがたいジャスティンの変容は、躁から鬱への転換なのだそうです。言われてみれば病気としか思えませんが、実際目の当たりにしたら、あまりの理不尽に腹を立てるでしょうが。
善人たる新郎はそこが理解できず、鬱状態の彼女に善意の見返り、つまり感謝を求めてしまいます。あーそれ誤解だから。
そのあとクレアに慰められた新郎は気を取り直して、すわ初夜!というところまで行きますが気乗りのしないジャスティンはすげなく拒否。
彼女はこともあろうに上司の甥とゴルフコースで交尾に及びます。は~♪騎乗位騎乗位。
その帰りに、俗物上司に捕まり、
「やあ。いい商品コピーは浮かんだかい?」
などと空気読まない無神経発言を受けて、公衆の面前で罵倒します。
逆ギレした上司はクビを言い渡して帰宅。
ホテルへ戻ると、しょげ返った新郎に破談を申し渡され、思い上がった上司甥に言い寄られますがもちろん拒否。でもこれ、普通はヤリ捨てって言いますがな。
一貫して花嫁衣装を纏ったキルスティン・ダンストによる理不尽な、病的な、そしてエロい振る舞いは落着し、観賞している側として苛立ちに満ちた前半部はようやく終了します。


後半はクレア夫婦が暮らす城郭ホテルにジャスティンがやってくるところから始まります。
明らかに症状は悪化しており、タクシーにも乗るのもおぼつかず、一人でも入浴もできない有様。(おっぱい)
折しも水色の美しい惑星(?)「メランコリア」が異常接近しつつあり、レジャーどころではない世相の中で宿泊客も皆無。
クレアの旦那は息子と一緒に趣味の天体観測三昧。こいつもビビりで小物で凝り性で、典型的なボンボン体質の俗物です。演じるのはなんと「24」シリーズのキーファー・サザーランド。
浮かれる男どもをよそに、一人天体衝突に怯えるクレア。旦那は「ぶつからないyo!」と言われてますが気が気じゃありません。
一方、ジャスティンは姉の苦悩が深まるほど、何故か生気を取り戻していきます。月がふたつ浮かんだような明る過ぎる夜には、河原で全裸月(&メランコリア)光浴!(おっぱい)
そして暗くも正しい眼光を宿した彼女は落ち着き払って「もう誰も助からない」と断言します。躍起になって打ち消す姉に対し、異能の一端を示して見せます。
つまり、彼女は(恐らく母親譲りの)シャーマン体質だから常人とは違う感覚に秀でているが、理解されず社会一般から障害者として扱われていたわけなのですね。
でもまあ、これは物語ならではのご都合主義でして、「自分はあいつらとは違う。特別なんだ」といったメンヘラ妄想の結晶ですね。それを言ったらこの後半そのものが妄想的ですが。
そんな身勝手で未熟な妄想に感情移入できる人(例えばわたくし)にとって、本作は理想的に展開していきます。
常軌を逸した人物による妙にリアルな話から、堅物が怯えるファンタジックな話へ、前後半で鮮明なコントラスト。異常事態によって姉妹の力関係が逆転し、世界の秩序も転変していきますが、実はひとつだけ変わらない関係性があります。
それはジャスティンと、その甥にあたるクレアの息子の関係です。彼は何故か叔母を「強くて頼りになる」と慕っています。
それは多分、彼女が彼の両親の手を焼かせてばかりだからなのでしょうが、子供の目からはジャスティンの何処がおかしいのかわからない。
障害とは本来、社会的な優劣ではなく生理的な違いです。社会を知らない子供にとって、単なる差異はどこまでもフラットです。

やがて一度は遠ざかった「メランコリア」は最接近し、絶望の中で旦那は厩で猟銃自殺。
前半部の推進力がメンヘラの無軌道だとしたら、後半の推進力は天体の軌道です。
その軌道に一喜一憂し、やがて錯乱していく姉を、悟りに満ちた所作で気遣うジャスティン。
自分を理解できない世界が、とびっきり美しい災厄でもって勝手に滅んでくれる。
資産が莫大な人ほど、家族への愛が深い人ほどうろたえ、怯え、絶望していく。
ましてや、自分を世話する立場であった肉親が子供のように震えているのです。
こりゃ女神の如く慈悲深く、女神の如く寛大に、女神の如く腹黒く振る舞うしかないでしょう!

例えば、社会参加意識も社会的地位も持ち合わせていない自分などは、自業自得から来るルサンチマンだけは人並みに抱え込んで、普段はそれなりに押し殺しています。
これは本当に不謹慎ですし、無神経なのですが、去年の3月11日に帰宅難民の列に混ざって歩いているときワクワクしてしょうがなかったもんね。
ツンと取り澄ましたクソったれの日常に気前よく亀裂が走って、老いも若きも男も女も金持ちも貧乏人も、みーんなバカみたいに歩いている。
究極の平等は死だ、という身も蓋も無い真理に似たどこまでも後ろ向きで非生産的な快楽です。(うわ最低)
そんな浮かれも名取市を襲った津波の映像を見て世界の重さをまともに喰らい、いっぺんに覚めてしまうんですが。(ついでに翌日の原発大爆発で、めでたく怯える群集の仲間入り)

場違いな落ち着きを保つジャスティンが責められずに済むのは、どうせみんな死んじゃうからに他なりません。
ここで母親が言った「あいつらから逃げなさい」という台詞が思い出されます。
もう、逃げる必要はないんです。お迎えの方からやって来て、みんな死ぬんです。自分だけが心安らかに!たっはー!
傍らには自分を慕ってくれた人と、自分より常に上位にいた人。俗物は既に惨めに滅びました。
3人で手を繋いだまま美しい光りと轟音に包まれて粉みじんに果てていく。
これはなんという幸福なのでしょう。(実際に監督は「この結末はハッピーエンドだ」と述べています)
所詮、幸不幸とは誰かを見下したり、誰かを嫉んだりする相対性の中に揺らぐ軽薄な概念にすぎません。
みんなの幸福が自分にとっての呪いなら、みんなへの呪いが自分にとっての幸福さ!それのどこが悪い!
…性質が悪い(笑)
このラストシーンは奇妙な高揚感とカタルシスに満ちており、なるたけ音響がよく、でっかいスクリーンの間近で観賞することをお勧めします。

「あたりまえ」の社会に馴染めないまま自意識の在りかに悩む、精神を病みめの人にとっての最大幻想一発逆転映画なのですね。
確かに暴力描写は皆無でほとんど血も出てこない。性描写も遠目に一回だけ。一見、レーティング的には問題ありません。
しかし、作劇の根幹がどうしようもなく反社会的なのです。
見所は青く輝くメランコリア&終始エロいキルスティン・ダンスト。
『去年マリエンバートで』の舞台にも似た城郭ホテルは前半こそ虚飾としか思えませんでしたが、後半ではジャスティンの精神状態と歩調を合わせるように美しさを増していきます。
海の見える庭。手入れの行き届いた芝生。周囲を包み込む緑。
乗馬やゴルフも楽しめる重厚かつ開放的なホスピスで、なんと上質でラグジュアリーな処刑待ち。約束された死を待つにはうってつけの、まさに「どうせ死ぬならこんな場所」。
見目麗しく、秘めやかに破壊的。
自分にとっては居心地の良さ満点の作品でした。
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