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2011 北海道&東北旅行(4)  [大なり小なり旅の記録]

7/17(日曜日)

よく寝て目を覚ますと、雲ひとつない晴天でした。
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窓の外は青い海。そんなに遠くないところに下北半島が見えました。六ヶ所村の原子力施設が見えるかと思いましたが、よくわかりませんでした。
ちょっと船内を探検。
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「嘔吐袋」ってインパクトあるなあ。

八戸港に近づくと、防波堤の残骸と思われる大きなコンクリート片が骸を晒していました。
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八戸港はいまだ復旧作業中で、苫小牧港のようにターミナルまで通路で行くことは出来ません。車の出入り口から小さなバスに乗り、ターミナル前でシャトルバスに乗り換えます。
タクシーもいて、ここから本八戸駅までどちらで行こうか迷いましたが、タクシーの運ちゃんに所要時間を聞いてバスと大差ないことがわかり、そのままシャトルバスを選択。
時間的にギリギリでしたが、1分違いで逃してしまいました。
八戸の中心地は、新幹線、及び青い森鉄道の八戸駅ではなく、港に近い八戸線の本八戸駅です。ここで青い森鉄道に接続する八戸線を逃がすと、2時間ほど待たなければならず、八戸駅まで先回りするしかありません。
駅で朝食前の頭を働かせて、なるたけ安くて効率的なルートを考えつつ、たまたま傍らを通った制服姿のおじさんにバスの停留所の位置を聴いたところ、本八戸から八戸行きのバスは街の中心部から出発するそうで、ここからは少し歩くそうです。
時間がないぞ、どうするどうする!
「じゃあ、俺のタクシー乗ってく?」
Σ( ̄ロ ̄lll)!
なんと彼は駅員ではなく、タクシーの運ちゃんでした。
これも何かの縁と思い、二つ返事で乗り込みます。シャトルバスを含めて1500円ちょっと。まあ納得できる出費です。八戸→盛岡は新幹線だと4000円弱。

思いがけなく客をゲットできた運ちゃんは、幹線道路を快調にぶっ飛ばし、駅周辺では信号待ちを避けて裏道を使い、青い森鉄道上り列車の発車10分前に運んでくれました。
すげー速ええ!
ちなみに八戸の街では、特に震災の影響は見られませんでした。
運ちゃんの奮闘のおかげで駅弁も買えました。ホームの待合スペースで5分で平らげます。
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8:47、八戸を出発。

青森から岩手県境の目時(めどき)を結ぶ、元東北本線の第3セクター路線、青い森鉄道はもちろんJRではないので「青春18きっぷ」などで乗車することは出来ません。しかし今回使用した「北海道&東日本パス」では乗ることが出来ます。
その目時(めとき)駅の小ささにいましたく。第三セクターとは自治体が運営するものなのだと改めて思い至ります。
青森県内はその名の通り森林が豊かで思いの外景観を楽しむことが出来ました。
途中、何度か貨物列車の待ち合わせをします。言うまでもなく被災地への物資の輸送です。クロネコヤマトのコンテナが目立ちました。
八戸ではそうでもなかったのですが、盛岡駅へ降り立つと余りの暑さに面食らいました。ただでさえ涼しい北海道は雨天だったので、気温のギャップが激しかったです。

ここからは東北本線をひたすら南下します。
途中、一ノ関と小牛田で乗り換えますが、小牛田を過ぎると田んぼの中で大きく傾いた電柱が目につくようになります。市街地や住宅地ではそうでもないのですが、震災直後はどこもこんな状態だったのかもしれません。
ビニールシートを被せられ、新しい瓦を待っている屋根もちらほら目につくようになります。
他にもいろいろ自身の爪痕を横目に、14時過ぎ、塩釜到着。

2006年の初詣に塩竃神社を訪れたことがあり、地震を境にどう変わったのかこの目で確かめてみたくなり、立ち寄ることにしました。
そのときは仙台駅から雪の残る国道45号線を歩いたのですが、今回は東北本線塩釜駅から神社へ向かいます。
斜面の中腹に位置する駅前からは地震の影響はまったく見られませんでした。
それにしても暑い。お土産にチョコレートなども含まれていたので、買い物袋の中に濡れ手ぬぐいなどを仕込んで内部の温度が上がらないように工夫を試みます。(一応これは功を奏したようです)

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汗をダラダラ流しつつ到着。
塩釜神社と志波彦神社をお参りしましたが、境内も綺麗なもので、石灯籠の傘が落ちていたぐらいでした。

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途中、車を何台か丸ごとお祓いできるスペースを撮影したりしましたが、なにぶん暑い。お腹も減ってきたので、初詣の際に年越しそばをいただいたお蕎麦屋さんへ行ってみることにしました。
仙石線本塩釜駅方面へ下る坂を降りてしばらく進むと、ありました。震災後も元気に営業しているようです。
昨日との気温差に辟易していたので、冷えとろそばを注文。
注文を受けたおばちゃんの目がやや光っていたのが気になりました。案の定、なかなか来ません。
ようやくやってきた「冷えとろそば」に驚愕しました。

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なんじゃこりゃあ!
錦糸卵、キュウリ、カイワレ、カボチャ天、海老天、海苔、とろろ、生卵、そしてスイカ。西瓜!
これらが一抱えもある器の中で絶妙なバランスで配置されているのです。
そういえば若干おそばが伸びていたような…。でも美味しかった!

お腹も一杯になったところで、川沿いの道なりに本塩釜方面へ。
やがて、川の両サイドが妙に寒々しいことに気付きました。
建物がないのです。
残った家屋も、海側の壁が無くなって柱だけになっていたり、ひしゃげていたり、無事なものはありません。
学習塾の入った頑丈そうなビルは屹立していましたが、1階の窓の地上2メーターほどのところに泥のラインがありました。その高さまで水が押し寄せたのでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=amg5S_bODzo
こちらの動画に映っている道に行ってみました。
2006年に通ったときには何てことない道でしたが、今なお様々な残骸が取り残されています。
ピンクの布が結びつけられ、横倒しになった道路標識。

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打ち上げられたまま放置されている漁船もありました。

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観光港へ向かう遊歩道の舗装は剥がれ、歩道の鉄柵にせき止められていました。


この辺りになるともうすっかり物見遊山の身の上が遣りきれなくなって、デジカメはバッグにしまいました。
この海沿いの一画にはイオンの大きな建物だけが残り、周囲の更地には真新しい家が建ちはじめていました。
なお、その周辺の信号機は機能していませんでした。
仙石線本塩釜駅は構内の各所を補修中。よもや塩釜駅とここまで差があるとは。
列車に乗り込むと、大きな荷物を抱えた自分が恥ずかしくなったので、寝たふりをしていました。
すると、ギャルな会話が聞こえてきました。以前乗ったときも思いましたが、この路線は若者が多いです。
「お酒とか飲まなきゃいけないの?」
「んー、お茶だね。で、あっちもちでさー。ン千円。おごってくれんの」
「でも遅くなるじゃん」
「店の人が家まで送ってくれるよ」
「なにそれ。超いいじゃん」
「ほら。ちょっとジョナサンとかじゃ(バイト代)安いじゃん。アホらしくなってくる」
どうして見ず知らずの娘に貢ぐか。
どうしてわざわざ送るのか。
どうして割がいいのか。
そういうことは考えないのかな。ちなみにその仕事、きっと犯罪だよ。
以上、仙石線のギャルふう女子高生グループの会話でした。
子供は大人の定めた価値に沿って自己を形成していくんですね-。
夜の女はこうして作られていくのか、と割り切れない気持ちで仙台下車。

やたらと若者で混雑している福島行き列車では結局座れず。
おまけに炎天下を歩いたために腹を壊し、東北本線随一の絶景を誇る貝田~藤田間を見過ごしてしまいました。
トイレの前には襟足の処理不足の駄目インド人系メガネ男子二名が薄気味悪い笑顔を浮かべてひとつの携帯に見入っており、彼らが親密に寄せ合う額の間から見晴らしの良い風景を見なければなりませんでした。
何だよこいつらは!泣きたい。でも泣くもんか。
悔しいんで、雄大な風景に会うBGMとして、ORIGINAL LOVEの「ティアドロップ」を聴きました。

福島からの郡山行きは座れまして、ようやく一安心。
郡山は盆地ということもありかなりの暑さ。周りの人も涼しそうな格好をしています。
目に入る限り、放射線対策に長袖&マスクという人はいませんでした。むしろバミューダパンツにタンクトップとか、そういう人ばかり。
むしろ地震そのものの被害が目につきました。至る所にひび割れが走り、ロータリーを覆う歩道橋も、立ち入り禁止の部分がありました。
夕飯をロッテリアで調達して今晩の宿へ。今夜はようやく静止した床の上で眠れます。
フロントの男性はスマイリーキクチから仏心などを削ぎ落とした感じのルックスと人当たり。もう一人の女性フロントとの乾いた確執も何となく漂っていました。
設備の充実した大浴場から戻り、夕飯を食べながら何故か前田敦子主演のドラマを寒々しい気持ちで眺め、早めに床に就きました。
明日は早いので…。
その理由も含めて、次回へ続きます。

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