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『メランコリア』ネタバレ全開評~正しい世界の終わりかた [レビューなど]

ラース・フォン・トリアー。
気が滅入るような作品を撮らせたら天下一品と言われているデンマークの映画監督です。
実際、話題になった『ドッグウィル』、『アンチクライスト』のあらすじを知っただけで観にいく気が失せます。
しかし、そんな予備知識のないうちに、予告編を頼りに観た『メランコリア』は大変気に入りましたよ。
この作品はイカれた妹ジャスティンの結婚式を描いた前半部と、天体の異常接近に怯えるまともな姉クレアを描いた後半部に分かれております。
結婚式と天体衝突?これがシームレスに繋がるのですね。天体に名付けられた「メランコリア」(鬱)という一点において。


のっけから田舎道には適さない長大なリムジンで自分達の結婚式に大遅刻するバカップル。
壮麗なウェディングドレスを纏った巨乳パツキン姉ちゃんが、「スパイダーマン」シリーズのヒロインとして不評を浴びたキルスティン・ダンスト演じる妹、ジャスティン。
彼女をカリカリしながら迎えるのは式場である城郭ホテルのオーナーに嫁いだしっかり者の姉、クレア(シャルロット・ゲンスブール)。
俗物を体現したようなジャスティンの上司とその無能な甥をはじめ、散々待たされた招待客を前に彼女の暴走はエスカレート。
最初はお色直しと称してゴルフコースへ繰り出して放尿する程度でしたが、次第に非道の質は悪ふざけから病的な奇行へと様変わりしていきます。表情もいたずらっぽい笑顔から次第に陰欝に、眼差しは虚ろに変化していきます。
姉妹の両親は離婚しており、現在の妻子同伴で繰り出した父親はウェイターをからかい、不機嫌そうな母親は結婚式への悪意に満ちたスピーチで場をドン引きさせます。
クレアはそんな両親を反面教師にして成長したんだと得心する半面、じゃあジャスティンの奇行はどちらから受け継いでいるのか?という疑問が湧きます。
これはすぐに明かされるのですが、よりによってケーキ入刀の段に至って母子それぞれ湯舟に浸かっているのですね。
全てが終わってしまった後、ジャスティンが母親に会いに行くと「あいつらにはわからないわ。逃げなさい」と言われます。
父親の奇行は茶目っ気であり社会適応の一形態なのですが、母親のそれは病的な不適応なのですね。社会に適応できない(理解されない)とわかっているから結婚という社会的契約(というか制約)に我慢がならない。

この違いが理解できなかったのが、あろうことか新郎本人。ノリのいいボンボンの善人です。
目が虚ろになりはじめたジャスティンに対して一枚の写真を見せ、
「田舎の土地を買ったんだ。ここで静かに暮らそう。ほら林檎の木が綺麗だろ」
とか優しく語りかけるんですが、ジャステインは上の空。フラフラと移動した尻の下から写真が舞い落ちる始末。自分の気遣いが踏みにじられて、新郎大ショック。
しかしこれは悪意ではありません。症状です。
傍目には理解しがたいジャスティンの変容は、躁から鬱への転換なのだそうです。言われてみれば病気としか思えませんが、実際目の当たりにしたら、あまりの理不尽に腹を立てるでしょうが。
善人たる新郎はそこが理解できず、鬱状態の彼女に善意の見返り、つまり感謝を求めてしまいます。あーそれ誤解だから。
そのあとクレアに慰められた新郎は気を取り直して、すわ初夜!というところまで行きますが気乗りのしないジャスティンはすげなく拒否。
彼女はこともあろうに上司の甥とゴルフコースで交尾に及びます。は~♪騎乗位騎乗位。
その帰りに、俗物上司に捕まり、
「やあ。いい商品コピーは浮かんだかい?」
などと空気読まない無神経発言を受けて、公衆の面前で罵倒します。
逆ギレした上司はクビを言い渡して帰宅。
ホテルへ戻ると、しょげ返った新郎に破談を申し渡され、思い上がった上司甥に言い寄られますがもちろん拒否。でもこれ、普通はヤリ捨てって言いますがな。
一貫して花嫁衣装を纏ったキルスティン・ダンストによる理不尽な、病的な、そしてエロい振る舞いは落着し、観賞している側として苛立ちに満ちた前半部はようやく終了します。


後半はクレア夫婦が暮らす城郭ホテルにジャスティンがやってくるところから始まります。
明らかに症状は悪化しており、タクシーにも乗るのもおぼつかず、一人でも入浴もできない有様。(おっぱい)
折しも水色の美しい惑星(?)「メランコリア」が異常接近しつつあり、レジャーどころではない世相の中で宿泊客も皆無。
クレアの旦那は息子と一緒に趣味の天体観測三昧。こいつもビビりで小物で凝り性で、典型的なボンボン体質の俗物です。演じるのはなんと「24」シリーズのキーファー・サザーランド。
浮かれる男どもをよそに、一人天体衝突に怯えるクレア。旦那は「ぶつからないyo!」と言われてますが気が気じゃありません。
一方、ジャスティンは姉の苦悩が深まるほど、何故か生気を取り戻していきます。月がふたつ浮かんだような明る過ぎる夜には、河原で全裸月(&メランコリア)光浴!(おっぱい)
そして暗くも正しい眼光を宿した彼女は落ち着き払って「もう誰も助からない」と断言します。躍起になって打ち消す姉に対し、異能の一端を示して見せます。
つまり、彼女は(恐らく母親譲りの)シャーマン体質だから常人とは違う感覚に秀でているが、理解されず社会一般から障害者として扱われていたわけなのですね。
でもまあ、これは物語ならではのご都合主義でして、「自分はあいつらとは違う。特別なんだ」といったメンヘラ妄想の結晶ですね。それを言ったらこの後半そのものが妄想的ですが。
そんな身勝手で未熟な妄想に感情移入できる人(例えばわたくし)にとって、本作は理想的に展開していきます。
常軌を逸した人物による妙にリアルな話から、堅物が怯えるファンタジックな話へ、前後半で鮮明なコントラスト。異常事態によって姉妹の力関係が逆転し、世界の秩序も転変していきますが、実はひとつだけ変わらない関係性があります。
それはジャスティンと、その甥にあたるクレアの息子の関係です。彼は何故か叔母を「強くて頼りになる」と慕っています。
それは多分、彼女が彼の両親の手を焼かせてばかりだからなのでしょうが、子供の目からはジャスティンの何処がおかしいのかわからない。
障害とは本来、社会的な優劣ではなく生理的な違いです。社会を知らない子供にとって、単なる差異はどこまでもフラットです。

やがて一度は遠ざかった「メランコリア」は最接近し、絶望の中で旦那は厩で猟銃自殺。
前半部の推進力がメンヘラの無軌道だとしたら、後半の推進力は天体の軌道です。
その軌道に一喜一憂し、やがて錯乱していく姉を、悟りに満ちた所作で気遣うジャスティン。
自分を理解できない世界が、とびっきり美しい災厄でもって勝手に滅んでくれる。
資産が莫大な人ほど、家族への愛が深い人ほどうろたえ、怯え、絶望していく。
ましてや、自分を世話する立場であった肉親が子供のように震えているのです。
こりゃ女神の如く慈悲深く、女神の如く寛大に、女神の如く腹黒く振る舞うしかないでしょう!

例えば、社会参加意識も社会的地位も持ち合わせていない自分などは、自業自得から来るルサンチマンだけは人並みに抱え込んで、普段はそれなりに押し殺しています。
これは本当に不謹慎ですし、無神経なのですが、去年の3月11日に帰宅難民の列に混ざって歩いているときワクワクしてしょうがなかったもんね。
ツンと取り澄ましたクソったれの日常に気前よく亀裂が走って、老いも若きも男も女も金持ちも貧乏人も、みーんなバカみたいに歩いている。
究極の平等は死だ、という身も蓋も無い真理に似たどこまでも後ろ向きで非生産的な快楽です。(うわ最低)
そんな浮かれも名取市を襲った津波の映像を見て世界の重さをまともに喰らい、いっぺんに覚めてしまうんですが。(ついでに翌日の原発大爆発で、めでたく怯える群集の仲間入り)

場違いな落ち着きを保つジャスティンが責められずに済むのは、どうせみんな死んじゃうからに他なりません。
ここで母親が言った「あいつらから逃げなさい」という台詞が思い出されます。
もう、逃げる必要はないんです。お迎えの方からやって来て、みんな死ぬんです。自分だけが心安らかに!たっはー!
傍らには自分を慕ってくれた人と、自分より常に上位にいた人。俗物は既に惨めに滅びました。
3人で手を繋いだまま美しい光りと轟音に包まれて粉みじんに果てていく。
これはなんという幸福なのでしょう。(実際に監督は「この結末はハッピーエンドだ」と述べています)
所詮、幸不幸とは誰かを見下したり、誰かを嫉んだりする相対性の中に揺らぐ軽薄な概念にすぎません。
みんなの幸福が自分にとっての呪いなら、みんなへの呪いが自分にとっての幸福さ!それのどこが悪い!
…性質が悪い(笑)
このラストシーンは奇妙な高揚感とカタルシスに満ちており、なるたけ音響がよく、でっかいスクリーンの間近で観賞することをお勧めします。

「あたりまえ」の社会に馴染めないまま自意識の在りかに悩む、精神を病みめの人にとっての最大幻想一発逆転映画なのですね。
確かに暴力描写は皆無でほとんど血も出てこない。性描写も遠目に一回だけ。一見、レーティング的には問題ありません。
しかし、作劇の根幹がどうしようもなく反社会的なのです。
見所は青く輝くメランコリア&終始エロいキルスティン・ダンスト。
『去年マリエンバートで』の舞台にも似た城郭ホテルは前半こそ虚飾としか思えませんでしたが、後半ではジャスティンの精神状態と歩調を合わせるように美しさを増していきます。
海の見える庭。手入れの行き届いた芝生。周囲を包み込む緑。
乗馬やゴルフも楽しめる重厚かつ開放的なホスピスで、なんと上質でラグジュアリーな処刑待ち。約束された死を待つにはうってつけの、まさに「どうせ死ぬならこんな場所」。
見目麗しく、秘めやかに破壊的。
自分にとっては居心地の良さ満点の作品でした。
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